誰も知らないサーカス

三十路SEが感情のごみ箱として使用します

おじいさんの説教(ヒッピー)

下北沢のすずなり劇場の下、ここは下北沢でも場末の場所。駅前の飲み屋で出入り禁止になった人達。飲むところが無いが故、自分たちでお店を開いたといわれる場所だ。初対面だろうが平気で説教を始めるおじさん、おじいさん、年齢不良の人達の楽しい憩いの場だ。昨日は会って2、3回目になる陽気なおじいさんからの説教を聞いていた。子孫を残せない人間は残すに値しない、クズのような存在、端的に言うとそんなところだ。そんな内容でもそこまで印象悪くならないのは下北沢のヒッピーの塊のようなどこか雰囲気がある容貌のせいだろうか。おれは子孫を残したくない、理由は簡単、自分のような人間をこの世に新しく作りたく無い。自分の分身なんてまっぴらごめんである。それは自分に自信が無いということだろう。ただおれの場合は中学生ぐらいから、なんとなく自分の子孫を残すべきではない、という感覚があり、それは今でも続いている。軽い自殺願望もあったのでその影響なのだろうか。けっしてネガティブということではない。前の記事でもあったが自分の正確はむしろポジティブ、いやなことはなるべく見たくない、が信条である。ただ、自分の分身だけはやばい、とにかくやばい、やめておこう。というのが中学生からある。渋谷のギャルじゃあるまいしやばいヤバイいうのも語彙力の無さがウケるんですけど。とにかくそれだけヤバいと思うのであればその直感に従おう。ただ自分がもしとんでもなく金持ちで奥さんがとんでもなく綺麗な人だったらどうだろう。暇だし子供でも作るか、そんな気持ちになったかもしれない。でもそれでも作らないような気がしないでもない。別れた奥さんは控えめに言ってもとてもきれいな人だった。周りの人間は口ぐちにうらやましいと言ってくれた。お世辞で無さそうなのは感覚で分かったのだが、結局自分は子供が欲しいとは思わず、籍を入れた時には完全に倦怠期だったうちらはセックルレスになるのも時間の問題だった。つまりは自分自身の問題のような気がする。かといって自分の性格が病気かどうかは分からないし、なんか違う気がする。自らの怠惰ゆえのこの性格を一言で「病気」としてしまうのはあまりにも浅はかだし、それこそ怠惰中の怠惰。ネットでの自己啓発ブログにはまずは自分のことを好きになるしかないし、自分自身と結婚することから始まる、そうだ。なるほど相手はともかく再婚には今しばらく時間がかかりそうだ。