誰も知らないサーカス

バツイチ三十路SEが感情のごみ箱として使用します

ポエマーの気持ちが分かった夜

下北のバーがオープンするまでに時間があり、ビレバンにて暇つぶししていた夜

冷やかしのつもりで手に取ったポエマー集を読んでみたら、意外なことに心臓を打ち抜かれました。

ポエマーといえば新宿の西口にいる首からポエマー集「700円」と書かれた看板をかけている、目がぎょろっとしている女性を思い出す。

うつろな目で通り過ぎる人をずっと眺めながら、立ち尽くしていた彼女はなにを思っているのだろう、疑問に思いながらもう50回ぐらいはすれ違っている。最近新宿には行っていないが今も首から看板を掛けて立ちすくんでいるのだろうか。まあそんなことはどうでもいい。

そう、そのポエマー集は意外や意外、34歳バツイチの心を正確に打ち抜き、購入するか迷うまでいったのである。この自分がポエマー集を買おうとなど迷うこと自体がすごい、初めてである。才能ある人なんだと思う。

その中で「朝起きた時におはよう、という相手がいる人は、幸せな人の上位に入ると思う」

という言葉でふとフラッシュバック。離婚が決まり、家具が無くどこまでも綺麗なあの千歳船橋の家を思い出し、涙が出そうになった。

おはよう、すら言えない。静寂しかない、どこまでも寒い、あの1月の朝6時

帰らない嫁、家具の無い部屋、しーんと音がなる部屋、今そこにあるかように鮮明に思い出す、温度や音でさえ。離婚といえばそのシーンだ。たぶん、自分にとってそのシーンは忘れてはいけないシーンなのだろう。絶望しかないのだが、なぜか、なぜか、自分の中にある生きる力、のような存在をかすかに感じる、あの瞬間。ああ、ここは世界の底なんだ、そう思いながらもこれ以上不幸になることは無い、なぜかそんな安心感を感じた。なぜかかすかに、前向きになれた朝。前向きになるしかなかった朝、自分の糧になっているのだろう。

寂しい、とは孤独、であり、孤独とは、生きる、ということでもあるような気がする

 

 

決意の朝からほど一か月ほどして、今の彼女と会うことになるのだから、人生は面白い。自分は物凄い強運の元で生まれてきたのだ、と信じて疑わないのはその件があったから。大げさでは無いが、あの時一人になった自分は自殺をしていたかもしれない。もともと生きることに執着が無く、自殺願望のあった自分にあの境遇では今思い出しても寒気がする。そう彼女はある意味命の恩人なのである。その恩人に恩をあだで返している自分のクズさ加減には嫌気がさす。ああ、許してくれるのだろうか。朝帰りをしてしまい、彼女とは昨日から返信が来ていない、危機的状況ではあるが「おはよう」を言える自分はたぶん、相当幸福なんだろう。幸せの上位にある、なんて人と比べているようで恥ずかしいのだが、不思議な説得力がある。日本人には潜在的に人と比べる、という能力があるのだろう。比べることのない世界に早くいきたい